【中東】世界遺産マサダ 玉砕の城
久々、二十数年ぶりに来たイスラエル。
前回はウダウダ1か月近くもいたのに行かなかった場所を、今回ぐるぐる巡っております。
楽しいな♪
本日紹介するのは、マサダ。
ヘブライ語で「要塞」を意味します。理由は後程。
エルサレムから南下した死海のほとりにある世界遺産です。
前日のクムラン移籍に続き、これまでのメジャーな場所とは一線を画すマニアックな観光地。
お時間ない方、興味ない方はずずずいと飛ばして。
スターだけ押していってください(笑)
これがマサダ。
高さ600メートルほど。
台形の山で、上に遺跡が残されています。
どうやって登るかというと…。
ロープウェー!
山頂まで3分で着きます。
うねうねと道もあり、登ってる人もいますが。
自力派のワタクシもコチラを選びたかったのですが。
時間なく断念。
☟これが、上から見た俯瞰図。
☟これが、北側の半分を表した模型。
先ほどの俯瞰図の手前部分です。
紀元前120年頃に建設され、後にユダヤのヘロデ大王が離宮として改修。
ここで寝泊まりしてたそう。
贅沢の極みですね。
上から見た宮殿。
眺めも抜群。
死海が臨めます。
(ちなみに水位が下がって、南北に分断されておりました。水不足が深刻な問題になっておりました)
これが1000人ほど住んでいた町。
繁栄してたのが分かります。
ところが、そこから歴史が暗転。
66年にローマ帝国にユダヤ人が決起、ユダヤ戦争勃発。
70年にユダヤ側の本拠地、エルサレム陥落(エルサレム攻囲戦)。
女子供含む967人が包囲を逃れ、マサダへと立て籠もります。
1万5000のローマ軍団が周囲を包囲しますが、そこは難攻不落。
2年も落とせなかったそうです。
で、ローマ軍が考えたのは。
山を作る事。
…そこまでやるかって感じですが。
やったんです。
ローマ側はなだらかな傾斜を造成し、ここから攻め込みます。
これが山上から見た傾斜。
よくこんなの作ったよなあ。
もう侵入間近ですね。
そして運命の日。
いよいよローマ兵が侵入したのですが。
抵抗はなく。
あったのは1000近くの死体。
その前夜、既に集団自決していたのでした。
(ユダヤ戦記によると、女性2人と子供5人だけが生き延びたそう)
壮絶。
現在、ここではイスラエル国防軍の入隊宣誓式が行われ。
士官学校卒業生は「マサダは二度と陥落せず」と唱和するそう。
壮絶。
ちなみに、これがローマ軍が投石器で飛ばした弾。
なんて大きさだ。
これも壮絶。